大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(う)1895号 判決 1972年4月05日

主文

原判決を破棄する。

被告人らは無罪。

理由

本件控訴の趣意は、各被告人及び弁護人駿河哲男外一名並びに同高橋融外四名作成の各控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検事辰巳信夫作成の答弁書記載のとおりであるから、これを引用する。これに対し当裁判所は次のとおり判断する。

原審記録及び証拠物を精査し、当審における証拠調の結果に徴し按ずるに、

弁護人駿河哲男外一名の所論は、原判決摘示の弁護人らの主張に対する判断の項第四公訴棄却の申立に対する判断に対する非難であるが、この点に関する原審判断は首肯できるのであつて、所論は独自の見解にすぎず、論旨は理由がない。

次に被告人ら及び弁護人らの爾余の論旨に関する原審判断も亦概ねこれを首肯するに足りるのであるが、当裁判所は法令の解釈適用につき別異の見解を有するので、職権をもつて按ずるに、

原審は証拠に基づき末尾添付別紙(一)の事実を認定し、被告人らの禁止文書領布の所為に対し、公職選挙法二四三条五号、一四六条一項を、政治的目的を有する文書を配布した所為に対し、国家公務員法一一〇条一項一九号、一〇二条一項、人事院規則一四―七、五項一号、六項一三号を各適用したのであるが、

一、公職選挙法一四六条は、選挙運動のために使用する文書の領布制限規定である同法一四二条の脱法行為として、選挙期間中の一定の文書の頒布を禁止しているのであるから、同法一四六条一項の文書は同法一四二条一項の文書とは異なり、文書の外形、内容自体からみて選挙運動のために使用するものと推知され得る文書(昭和三五年(あ)第一一七三号同三六年三月一七日第二小法廷判決、刑集一五巻三号五二七頁参照)とは認められない場合ではあるが、右文書の使用の形態等を綜合判断して、同じく、選挙運動のために使用するものと認められる場合でなければ、その頒布は同法一四六条一項にいう同法一四二条の禁止を免かれる行為には該当しないといわなければならない。(昭和三〇年(あ)第三七一八号同三一年四月一三日第二小法廷判決、刑集一〇巻四号五七八頁は、「公職選挙法一四六条に違反する罪の成立には、その行為にあたり特定の候補者の当選を得しめる目的のあることを要しない」と判示するが、同条の文書が選挙運動のため使用する文書と認められることまで否定する趣旨とは解せられない。)

ところで、選挙運動とは特定の選挙につき特定の議員候補者を当選させるため投票を得又は得させるに付き、直接又は間接に必要且つ有利な周旋、勧誘若しくは誘導その他諸般の行為をすることといわれる(昭和三八年(あ)第九八四号、同年一〇月二二日第三小法廷決定、刑集一七巻九号一七五五頁参照)のであるが、ここで問題となるのは特定の議員候補者を当選させるためという意味である。公職選挙法では選挙は投票により行ない、選挙人は投票用紙に当該選挙の公職の候補者一人の氏名を自署して投票するいわゆる単記投票の方式をとつている。即ち投票は確定の一人の候補者に向けられているのであるから、選挙運動にいう特定の職員候補者を当選させるためということも、確定の一人の候補者の当選目的を意味するのであつて、複数の候補者の当選目的ということは、選択的に多数の中から確定の一人に一票を求めるという選挙運動の本義に添わないものである。(もつとも、選挙区を異にする場合は各選挙区毎に確定の一人ということになるから、多数選挙区の各確定の一人の候補者の総計ということになれば、確定の複数の候補者の当選目的ということが特定の候補者の当選目的ということを意味し得るのは勿論である。)このように解することは、選挙の実態にも即するし、公職選挙法の目的にも添うものと考える。蓋し、公職選挙法一条は「この法律は、日本国憲法の精神に則り、衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長を公選する選挙制度を確立し、その選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とする。」と規定しているのであるが、選挙運動はもとより政治運動の一形態であり憲法二一条の保障する表現の自由の政治面における最も普遍的な行為現象であるから、その解釈は厳格になされるべきであり、公職選挙法の定める選挙運動のために使用する文書の頒布等の制限規定についていえば、その制限目的は経済的事由と選挙の公正を理由とするものであろうが、紙に関する経済的理由は現今その意味を失い、選挙費用の平等等の問題は選挙費用額の制限をもつて賄い得ることであるから、本来自由であるべき個人の政治運動の制限としては選挙の公正即ち選挙人の自由な意思の表明を阻害するか否かにかかるといえるのであるが、自由意思の阻害は確定の一人の候補者の当選目的の場合にこそその意味があり、確定はしていても複数の候補者を選択的に推薦する場合は自由な選挙意思の拘束、阻害として刑罰をもつて臨むべき行為とは解せられないのである。

最高裁判所判例(昭和四三年(あ)第四八七号、同四四年三月一八日第三小法廷判決、刑集二三巻三号一七九頁)は公職選挙法一四二条一項の選挙運動のために使用する文書につき、「その選挙運動において支持されている候補者(または立候補が予測ないし予定された者)は、一人であることを必要とせず、特定されていれば、複数人であつてもさしつかえない。」と判示するが、事実は、確定の一人の候補者に当選を得させる目的があることを認定しているのであり、文書の内容も同一政党の各選挙区における各確定の一人の候補者の集計が複数であるというに過ぎないものと推測されるのであつて、本件のように各選挙区毎に複数政党の複数候補者のある場合にまで、指定の候補者といい得るかを直ちに決し得る先例とは考えられない。(東京高等裁判所昭和三五年(う)第二六二四号、同三六年六月六日判決、高等裁判所判例集一四巻四号二二頁もいわゆる革新候補者の氏名を列記した文書につき、特定の候補者の当選を目的としたものとして公職選挙法一四二条にいう選挙運動のために使用する文書にあたる事例と認めているが、これ亦、各選挙区毎に確定の一人の氏名を列記したものと推測され、本件に適切でない。)

かようにみてくると、確定されてはいるが、選挙区毎に複数の政党名及びその各候補者の氏名を列記した文書は、候補者の特定を欠くが故に、それだけでは公職選挙法一四二条一項の選挙運動のためにする文書に該らないし、又それを頒布しても、右複数の確定者の一選挙区における確定の一人のための当選目的を認めるべき特段の事情がない限り、選挙運動のために使用する文書の頒布禁止を免かれる行為として同法一四六条一項の禁止に違反するものとはいえないのである。(このような解釈が、公職選挙法一四二条、一四六条の合憲性を判示した最高裁判所判例(昭和三〇年四月六日刑集九巻四号八一九頁、同年三月三〇日同集同巻三号六三五頁各大法廷判決等)に反するものでないことは説明を要しない。)

本件文書は、前記のように革新政党の候補者を推薦し、各選挙区毎に社会党、共産党の複数候補者の氏名を列記したものである。(もつとも、伊豆七島については共産党候補者一名のみを記載しているが、文書の綜合的判断からこの者についてのみ特段の意味をもたせるわけにはいかない。)その内容は革新候補者らの推薦であり、確定の一人の候補者の当選を得させることを目的とするものとは認められない。その配付行為等から綜合判断しても、その目的を確定の一人の当選に限定すべき特段の事情は見当らないのであつて、選挙運動のために使用する文書の頒布の禁止を免かれる行為とは認められないのである。被告人らの本件文書の頒布は公職選挙法一四六条一項に違反しない。

二、次に国家公務員法違反の点でああが、人事院規則一四―七、五項一号は政治的目的として同規則一四―五に定める公選による公職の選挙において、特定の候補者を支持し又はこれに反対することと定めているのであるが、ここにいう特定の意義は前記選挙運動に関して判示したように確定の一人を意味するものと解する。蓋し、政治的目的一般としては特定の意味を確定の複数者とも解し得る余地はあるが、本号の目的は正に公職選挙法一三六条の二において公務員の選挙運動とみなされるものであり又行為の内容においても同法条二項四号に定めるものは、公務員の地位利用を要件としてはいるが、人事院規則一四―七、六項一三号に定める政治的行為と等しい。しかして、その違反に対する法定刑は、公職選挙法においては二年以下の禁錮又は三万円以下の罰金であり(同法二三九条の二、二項)、国家公務員法違反においては三年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金である(同法一一〇条一項一九号)。もとより各法の立法目的は異なるであろうが、行為の目的、内容を同じくする二者については、刑の均衡の面からいつても後者において定める特定の意義を前者において定める意味よりも広義に解すべきではないと考える。それ故本件文書は候補者の特定性を欠き政治目的を有する文書に当らない。

三、ところで、仮に前記特定の意義を確定の一人と限定すべきではなく、確定の複数者をも含むと解するのが正当であるとして、更に本件被告人らの所為の可罰性について考察するに、

先ず、国家公務員法違反の点から按ずるに、国家公務員が他の公務員と異なり政治的目的を有する政治的行為を処罰されることは合理的な理由があることであろうが、この点に関し一応政治的目的、政治的行為という二重の枠はめはしているにせよ、いわば一般的禁止を規定する国家公務員法、人事院規則の法条は憲法二一条の定める言論の自由の立場から合憲的に解釈されねばならないのであつて、この観点からすれば国家公務員の処罰の対象となる政治的行為は、それが国家公務員としての立場換言すれば国家公務員の地位に基づく行為でなければならない。蓋し、一私人としての行為まで国家公務員であるが故に処罰されなければならない理由はない。国家公務員の地位に基づく行為であるか否かは、広く行政の中立性の立場から、行為の主体即ち行為者の職務が裁量権ある管理職の地位にある者であるか否か、行為の態様が、勤務時間内か否か、勤務庁施設の内か外か、行為の内容が公務員の地位又は職務に関連するか否か等により客観的に判断されるべきであり、非管理職の公務員の勤務時間外、勤務庁施設外の、公務員の地位又は職務に関連性のない行為は、たとえ政治的目的を有する政治的行為であつても、国家公務員法の定める政治的行為の禁止に違反しない。このように解することは、同法条の合憲性を判示する最高裁判所の判例(昭和三三年三月一二日、同年四月一六日各大法廷判決、刑集一二巻三号五〇一頁、同六号九四二頁参照)の趣旨に反するものではなく、同法の目的、立言に矛盾するものでもない。むしろ人事院規則一四―七、四項が勤務時間外の行為をも処罰の対象とし、同一四―七、六項一号に職名、職権又はその他の公私の影響力利用を政治的行為として掲げていること、前出の公職選挙法一三六条の二が公務員の地位利用という合理的な理由により選挙運動として政治活動を制約していること及び国家公務員法の罰則の法定刑の重いこと等の反面解釈から非管理職の公務員の地位に基づかない行為を除外する趣旨であることが窺われるのである。

本件において、被告人らの所為は原判決も認定するように、行為の態様として勤務時間に近接し、勤務庁施設内の行為であり、この限りにおいて公務員の立場に基づく行為といわざるを得ないのであるが、行為の主体の面からいえば、被告人石井は統計官の地位にあつたとはいえ、その職務内容は他の両被告人と共に裁量権のない機械的職務に従事する非管理職と見るべきものであり、行為の態様としては、組合の候補者推薦決定を内容とする文書の配付であつて、その方法は組合の日常活動としてとられていたいわゆる朝ビラの配付であるから、たまたまその行為が形式上政治的行為に該当するにせよ、組合活動に随伴する行為として違法性は低いのみならず、原審認定結果も被告人石井は一一枚、同蓼沼は六枚、同金井は一四枚の各同僚に対する配付であり、被告人らの主観においても、割り当てられた組合の日常行動としての意識が主潮をなすもので、違法性の認識において軽度のものというべきであるから、以上を綜合すれば、被告人らの所為は社会生活上行為の通常性を有するものであつて、実質的違法性を欠き、刑罰をもつて処断するに価する行為とは認められない。この観点からすれば、畢竟、被告人らの所為は国家公務員法一一〇条一項一九号に該らない。

しかして、この理は、被告人らの所為の公職選挙法二四三条五号該当性についても妥当し、たまたま被告人らの所為が形式上公職選挙法一四六条違反に該当するにせよ、その行為の態様、被告人らの主観において行為の通常性を有し、実質的違法性を欠き、被告人らの所為は公職選挙法二四三条五号に該当しない。

してみれば、以上いずれの面からみても本件は罪とならない。よつて、爾余の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条、三八〇条に則り、被告人らに対し有罪を認定した原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に則り更に判決する。

本件公訴事実は末尾添付別紙(二)のとおりであるが、右記の理由により被告人らの所為は罪とならないことになるから、同法四〇四条三三六条に則り被告人らに対し無罪の言渡をする。

よつて、主文のとおり判決する。

(堀義次 高橋幹男 林修)

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